広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第14回_第3章スポーツマンシップを語る(2) 川淵三郎「スポーツマンシップとGood Loser」

エリートを育てる意味

川淵 やはり今度のワールドカップを見てもわかるように、世界のヒノキ舞台に出て互角に戦って初めて多くのサッカー愛好者が日本には増えるわけだから、すべては優秀な選手がいるかいないかに帰結する。優秀な選手をつくるには、小さいときから英才教育をしないと、世界で一流になるような選手は絶対に出てこない。世界のトップは、4、5歳ごろから英才教育を始めているわけです。一流の国がそういう対応をしているのに、日本は中学生ぐらいからユース育成だって言ってみたってもう遅い。幼児期にその年齢に合った体づくりをしていないと中学生の成長期に急に運動を始めてもムリなことがでてくる。精神的にもGood Habit を小さい時から自然に覚えるような仕組みで選手を育てていかないと。

 そういう英才教育は、いきなりサッカーを教えるというのではなくて、体を動かすことから始める。そしてある段階になると、将来性のある子供達の数をしぼって育てていく。しかし、その反面、たとえば20人を英才教育したとしても、その中でJリーガーが必ず一人は出るとはかぎらない。100人に英才教育して1人出ればいいぐらいの感じ。そうすると、あとの99人はサッカー的にはエリート外になる。でも、その大部分の子供たちが、英才教育をされていく過程で人間的に立派に育っていってさえいれば何の問題もない。その点が非常に大事。スポーツマンシップをきちんと指導し、フェアプレーの何たるかを指導し、一般的な社会教育をそこで教えることによって、仮にサッカー選手としてはエリートにはならなくても、社会の中できちんと生きていける子供たちを育てたい。そして「Jリーグアカデミー」の中にいて本当によかったと思えるようなものにしていきたい。逆にこういうことができない限りは、Jリーグに対するコミュニティーのコンセンサスは絶対に得られない。

 だから、地域社会の先生方や父兄や、地域の草の根の指導者も含めて、これはいいなと思える仕組みをつくっていこうという、かなり遠大な計画なんだ。これが成功しないかぎりは、日本代表チームが世界のベスト10に常にランクインするぐらいの選手を供給し続けることは無理だし、それができないかぎりはJリーグも発展していかない。発展していかないということは、僕らが目指す百年構想の、地域に根ざしたスポーツクラブも実現できないということになる。

 だから、「エリートを育てていくよ」って僕が言うと、みんな、「それ以外は捨てるんですか?」って言われるんだけど、それはまったく違う。エリート以外のためにこそエリートを育てないといけない。そうしないと理念の具現化ができないんだよ。言葉や理屈だけでは無力だ。今は企業や地域社会に依存している部分が多いけれども、もっと自力でカバーしていく部分を増やさないと。そのためにエリートを育てていくことは大事なんです。

 それと並行して人間教育を全面的に打ち出していく。だから、重点の置き方としては、サッカーを教えるのと人間教育が五分五分ぐらいかな。その中で100人に1人、世界的な選手が出てくれば言うことなし。アカデミーの生徒数は、各年齢20人ぐらいのイメージなんですが、そうすると15学年で(全校生徒)300人。その中で3人ぐらいの世界的な選手が出れば御の字かな。そういうイメージで他の297人を育てていくことも大事なんです。

広瀬 具体的にわかりました。僕が想像していたアカデミーとは少々違いましたが、なるほどなと思いました。

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