広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第7回_なぜ審判を尊重するのか?
あなたはスポーツマンシップの意味を答えられますか? 誰もが知っているようで知らないスポーツの本質を物語る言葉「スポーツマンシップ」。このキーワードを広瀬一郎氏は著書『スポーツマンシップを考える』の中で解明しています。スポーツにおける「真剣さ」と「遊び心」の調和の大切さを世に問う指導者必読書。これは私たちテニスマガジン、そしてテニマガ・テニス部がもっとも大切にしているものでもあります。テニスを愛するすべての人々、プレーするすべての人々へ届けたいーー。本書はA5判全184ページです。複数回に分け、すべてを掲載いたします。(ベースボール・マガジン社 テニスマガジン編集部)
その6
なぜ審判を尊重するのか?
…審判がいなければゲームは成り立たないからです。
Key Word
ルールの現実化、ゲームの後見人、信頼に足る仲間、肯定的態度
審判はゲームの一部
その5で、スポーツとスポーツマンシップにとって重要なもの、尊重すべきものの一つに審判をあげました。
審判を尊重することについて、今さらそれが正しいかどうかを議論する必要はないでしょう。なぜならスポーツマンシップとは、我々がスポーツをどれだけ理解しているか、そしてその理解をどのように態度で表しているかを問うことだからです。
適正に運営されているスポーツならば、審判はゲームの一部であり、ゲームが行われるにあたってあらかじめ決められた了解事項そのものです。
ルールとそのルールを現実化させる手段がなければ、スポーツをプレーすることは不可能です。その意味で、審判や裁定を下す競技役員は必要不可欠な存在です。
審判を尊重することは、ゲームを尊重すること
また、審判はゲーム進行のためのルールを実行するだけでなく、その競技の伝統や慣習といった「ルールには明記されていない事柄」の実行者でもあります。その意味で審判を含む競技役員は、ゲームの趣旨を守る後見人のようなものです。ですから審判を尊重することは、ゲームそのものを尊重することとほとんど同じ意味になります。
審判はしばしば、ゲーム参加者をルールに従わせるために罰則を適用します。これは、スポーツという制度にとって最も重要な役割を果たす要素となります。プレーヤー個々人が混乱して自分のことしか考えられなくなってしまい、皆が楽しみながら競うというスポーツ固有の世界を壊してしまうような事態を避けようとするなら、審判という存在を尊重すべきではありませんか?
審判は警察であり、指揮者
これは、日常生活において市民生活の擁護者として警察があるようなものかもしれません。警察が必要ではない社会が可能ならばそれに越したことはありませんが、すべての人が立派な人格者であるような社会は空想でしかありません。スポーツにおける審判というのはある意味で警察であり、夕食のときにテーブルマナーを教える親のようでもあり、伝統を伝えながら美しいリズムを刻むようにオーケストラをまとめる指揮者のようなものでもあります。
審判は仲間
優れた審判は自分の持てる審判技術の粋を集めてゲームの進行を円滑に行います。プレーヤーやコーチがそのスポーツで一生懸命に努力するのと同じように、審判も自分たちに課された役割を全力で果たそうと努力しているのです。
ほとんどの審判はそのスポーツが心底好きなために審判になろうと決心し、努力をして審判の技術を会得した上で、今やそのスポーツにおいて重要な役割を果たしている人たちなのだ、という事実を忘れないようにしましょう。
誰か違反者はいないかとアラ探しをしている疑り深い人たちでは決してありません。審判は、信頼に足る仲間なのです。
コーチの使命
高校や大学等で若いプレーヤーたちを指導するコーチなら、自らが審判を尊重している姿を示し、同時にプレーヤーたちにも同じことを求めることが特に重要です。コーチはこういう場合、スポーツマンシップの指導者であると同時にモラルの教育者であるということを強調しておきます。コーチは、審判にどのように対応するかを通して、丁重さや自己抑制、公平さなどの模範を示す機会に恵まれているとも言えるのです。
若いプレーヤーたちに「その競技を愛し、勝とうと思う強い気持ちを持たせる」のと同時に、それらが「スポーツマンシップに基づかないかぎり意味がない」ことを現場で示すのが、コーチに課された重要な役割なのです。
負けたときの態度が重要
負けたときに文句を言ったり、誰かを責めたり、グダグダと泣き言を言ったりして、敗北の責任を逃れようという態度をとらせない、つまり序章で述べたBad Loserとならないためにも、審判への対応は特に鍵となるでしょう。
残念な結果に落胆したとき、審判のせいにするような態度は決して許してはいけません。敗北が確定したあとのつらい時に、審判のせいにすることを避け、一人の人間としてプレーした内容について真正面から向き合うよう、若いプレーヤーたちの手助けをしてあげる必要があります。
あるコーチの意見
あるコーチは言います。「若い奴らに、審判についてとやかく言わせないってのは確かにその通りだ。実際自分は若い連中には審判に何か言うんじゃないぞって、よく言っているよ。それが私の役割ってもんだろ。しかし、私の役割は勝っためにできることは何でもすることなんだから、審判を脅したほうがいいんだったらそうするよ。それもゲームの一部なんだ。審判もそんなことは百も承知さ。だからもしゲームで負けていて、みんなを奮起させるためには、私が審判に抗議して、いっそ退場させられたほうが効果的だと判断すれば、そうするかもしれないってことさ。もちろん審判もそんなことはお見通しさ。人には皆それぞれの立場ってもんがあるんだ。そもそも少しくらいのヤジが耐えられないのなら、審判なんかやるもんじゃない」。
確かにゲームで何をすべきで、何をすべきではないかという尺度は伝統や習慣に基づく部分が大きく、現実にはこのコーチが言うような態度や考え方が多いのかもしれません。
伝統に基づくのではなく、あなたがつくる
ほとんどのコーチは、実際にはどうしているのでしょうか? このコーチのように考える人は少なくないのでしょう。しかし、考えてみてください。それぞれのコーチが現場で対処しているそのことこそが、結果として伝統や習慣を形成する役割を果たしているという事実を。審判が競技をするうえで果たす役割は大事であるという意味をしっかりわきまえたうえで、何が重要となるのかを再度考えてみてください。言うまでもなく、審判がいなければ、ゲームは成立しないのです。「それもゲームの一部さ」と言うのなら、その前提となる「ゲームとは何か」、そして「ゲームで勝つとはどういうことなのか」を思い起こしてください。ゲームとはどういうものなのかを問題にしてみると、審判が審判でなくなれば、ゲームはゲームでなくなることは明白です。そういう意味で審判とはまさに「ゲームの一部」であり、したがって論議の余地なく尊重する対象となるわけです。
審判に抗議する際に必要なもの
ではコーチとして審判を尊重するならば、絶対に抗議してはいけないのでしょうか? いいえ、違います。審判に抗議する場合、何が適当で、何が不適当なのか。それを判断するうえで、明らかに必要と思われる原理原則が存在します。
審判の判定を尊重することは、他人の意見を尊重することと似ています。人は皆それぞれが自分の意見や心情を持ち、それに基づいて行動する権利があります。しかし、だからと言って私があなたの意見を正しいとみなし、賛成しなければいけないというわけではありません。
仮に私があなたのことを合理的な人だと評価すれば、それはあなたが物ごとを深く考え理性的な判断を下す人だと理解したわけですから、あなたの意見について、私はあなたの立場を考慮したうえで質問し吟味するでしょう。そして、あなたと異なる別の意見を私が認め、あなたもそれに賛成してくれるのではないか、と思ったとします。私はあなたを説得しようと試みるでしょう。しかし、その説得は丁寧に、そしてあなたの立場を尊重して行う必要があります。つまり私はあなたの意見に賛成することも、あるいは尊重することさえもなく、あなたのことを尊重することは可能なのです。
同様に審判を尊重しながら、審判の判定に対して疑問を呈したり、あるいは間違いではないかと抗議したりすることは可能ですが、感情的に口汚くののしったりすることなく、冷静に行う必要があります。
「自分に対して、してほしくないと思うようなことを、他人に対してしてはいけない」という原則がここで活きています。自分が審判であるならば、威嚇されたり、怒嗚られたり、侮辱されたり、体に物理的な圧迫を受けたりしたくはないでしょう。
相手の立場を理解しよう
自分とは対立する意見に対するときに、守るべき重要な原則があります。相手の立場を理解せよということです。相手がどうしてそういう考えを抱いたのか、どのような立場で考えているのかを把握し、相手の考えをできるかぎり正確に評価しようとすることが、冷静で公平な対応を可能にするのです。
これは審判に対する対応でも同様です。審判を評価するときには、その審判がまるでいつも間違いをしでかしているかのように、繰り返し否定的な態度をとることは避けるべきです。たしかにテレビでスポーツ番組を見れば、リプレー場面を通じて誤審というものが実際に存在することは明らかです。
審判には肯定的な態度で
しかし審判は間違いを犯すといった否定的な前提ではなく、正しい審判をしてくれているという肯定的な態度で臨むほうが、実際にも有効なのです。審判は全能ではありませんが、公平たらんとする存在であることは間違いないのですから。
審判が一方に偏った見方をするという可能性よりも、コーチや選手やサポーターたちが自分たちの望む結果を得ようとして偏った見方になりがちだというほうが、実際には多いのではありませんか?
審判に対して寛容な態度で臨むということは、スポーツマンシップを実現するうえでも有用かつ重要なことなのです。
実例5
「体操は審判をも含めた人間対人間の戦いだからこそ、面白い」ーー体操日本を支えた加藤沢男さん
男子器械体操の加藤沢男さん(現筑波大学助教授/原文ママ)は、1968年のメキシコ・オリンピックで個人総合の最後の種目、床運動で9.99を出し、5種目終えたところでトップに立っていたウォローニン選手(旧ソ連)を逆転。また、1972年のミュンヘン・オリンピック個人総合でも、チームメイトの監物永三選手、中山彰規選手に最後の種目、鉄棒で逆転して金メダルを獲得した。
1976年のモントリオール・オリンピックに30歳で出場した加藤さん。日本チームのエース笠松茂が盲腸炎で出場不能となり、日本が5連覇を狙っていた団体総合に暗雲が立ち込めた。それまでの日本の勝ちパターンは、規定で差をつけ、自由で守りきるというもの。しかし、この大会、規定を終えて、日本は1位ソ連に0.5点差の2位だった。
自由演技でソ連選手に次々といい点が出る中、日本の藤本俊がつり輪で右膝の半月板を損傷。日本は残る3種目をギリギリの5人で戦わねばならなくなった(団体総合は各種目ごとに1チーム6人のベスト5の得点を合計して争う)。
しかし、加藤さんをはじめとする日本の5人は鬼神のごとく高得点をかさね、大逆転の金メダルで5連覇を果たした。
当時、体操界では、ソ連偏向の採点があったとされている。後日「そんなもので血のにじむような努力評価されることを空しいと思ったことはないのか」と尋ねられた加藤さんは、「私はそれは逆だと思います。電気計時などの冷たいメカニズム、エレクトロニクスで人間の努力がはかられることこそ、私は虚しいと思うんです。体操は、オリンピックの中でもっとも人間的な、人間くさい種目です。審判を含めた人間対人間の戦いだからこそ、面白くてやめられないのです」と笑って答えたという。
(出典:「昭和スポーツ列伝」文春文庫)
→加藤沢男氏のこの見解は、2002年のサッカー・ワールドカップにおける審判の「誤審」問題を声高に糾弾する意見と好対照ではありませんか。
審判の誤審について、一律に論じるのは可能です。誤審はあってはならないことであり、なるべく誤審がないようにする努力が必要であることは論を待ちません。それにもかかわらず、審判が人間である以上、誤審を犯す危険性はゼロにはなりません。これらは立場を越えた共通の事実認識です。しかしこれらの事実をどのように解釈し、どのように対応すべきかという問題は、個々の立場と見識によって変わることになります。
「スポーツマンシップ」を重んずる競技者としては、審判の立場をどう理解すべきかという限定した視点で考えるなら、加藤さんのこの見解には大いに学ぶべきものがあると思います。加藤さんも言葉にはしていませんが、体操の審判が微妙なものであり、絶対に間違いがないなどとは考えていません。問題は「だから自分はどう対処すべきか」なのです。そして「自分がどう考えどう対応するか」という時にこそ「スポーツマンシップ」が多いに関与してくるのです。
「誤審」は起こり得る。だが誤審を問題にしても意味がないから問題として意識しない。競技者としてはそれが普通でしょう。加藤さんの場合、自分がかかわる体操という競技の本質をよく吟味したうえで「微妙な判定」というのが常に起こり得る以上、それはむしろこの競技の本質に根ざすものではないか、という境地にまでたどりついたこと。そこに深いスポーツ理解に基づいた真の「スポーツマン」の姿を見、「超人」加藤沢男のすごさがあらわれていると言えましょう。
広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第1回_序章「誰もが知っている意味不明な言葉」
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