広瀬一郎_書籍『スポーツマンシップを考える』_連載第6回_なぜ戦う相手を尊重するのか?

あなたはスポーツマンシップの意味を答えられますか? 誰もが知っているようで知らないスポーツの本質を物語る言葉「スポーツマンシップ」。このキーワードを広瀬一郎氏は著書『スポーツマンシップを考える』の中で解明しています。スポーツにおける「真剣さ」と「遊び心」の調和の大切さを世に問う指導者必読書。これは私たちテニスマガジン、そしてテニマガ・テニス部がもっとも大切にしているものでもあります。テニスを愛するすべての人々、プレーするすべての人々へ届けたいーー。本書はA5判全184ページです。複数回に分け、すべてを掲載いたします。(ベースボール・マガジン社 テニスマガジン編集部)

その5

なぜ戦う相手を尊重するのか?

…素晴らしい勝利を得るためには、素晴らしい対戦相手が必要だからです。

Key Word
競技の価値、尊重すること、相手の存在

ゲームが成り立つ三つの条件

 その1の「スポーツとは何か?」において、スポーツを「遊びの形態をとりながら、競争の要素をもち、ルールによって統制された、人類が自由意志で選択した身体活動」だと定義しました。ここで重要なのは、スポーツとは人間が体を動かす「運動」というだけではなく、勝ち負けを競うゲームだということです。

 それでは「勝ち負けを競うゲームに必要なこと」とは何でしょうか。それは、ルール、審判、相手の三つなのです。そのどれか一つでも欠けるとゲームができません。ゲームは“ルール”に従って“相手”と戦い、“審判”がルールに基づいて勝ち負けを判定するのです。ルールこそがその競争の本質を表すものであり、勝利が意味を持つのはそのルールによって規定されるからに他なりません。

尊重するということ

「スポーツマンシップとは、煎じつめると尊重(respect)するということだ」とヨーロッパでは言われているようです。尊重するとはどういうことでしょうか? あることの意味を理解し、その意味を大切に考えるということです。意味を理解するのは、「そうするように決まっているから」とか「守らないと怒られるから」というのとは違います。それぞれの人が個別に独立して「その意味を理解して、その価値を判断したうえで認める」ことです。

スポーツで尊重される三つのもの

 そして、スポーツでは尊重するものとして相手、審判、ルールの三つをあげています。先ほど出てきたこの三つがないとゲームはできません。そしてスポーツは勝敗を決める体を使ったゲームですから、この三つを大事にしないとスポーツが成立しないことになります。この三つを尊重するということは、その競技自体を尊重することであり、その競技の価値を認めることなのです。その価値を理解し認めないのなら、スポーツをする意味がありません。

 スポーツを行うにあたって、各個人が自主的にそのスポーツの意味を理解し認めること、すなわち尊重することが大前提です。それがスポーツの基本です。強制されて行うのはスポーツではありません。だからスポーツをする人には、まず自分の判断力が求められると言えます。

勝利するには相手が必要

 競争では勝者と敗者が生じること、さらに言えば片方が勝てば必ずもう片方が負けることは必然です。しかし別の見方では、競争というのは人間が自らを開発し、練習し、そして自らの素晴らしさを表現する機会であるとも言えます。勝利しようとすることは、ゲームにおいてベストを尽くし、そのゲームで目指すものに対してできるかぎりのところまで到達しようとする行為なのです。

 しかしその努力は、自分の相手も勝とうと努力し、自分よりも優れた成果を出そうという努力があって初めて可能なのです。さらに言えば、相手だってこっちが勝利のための努力をしなければ、素晴らしいパフォーマンスは行えません。こう考えると、相手が素晴らしい機会を与えてくれたことに対して感謝すべきではないでしょうか。ある意味では相手とは敵対関係にありますが、別の見方では両者はともに素晴らしいものを目指し、価値観を共有するパートナー関係なのです。「プレーする意味がある」と言うとき、それは相手が自分にとって意味があることを指します。相手がいなければプレーはできません。良いゲームとはこういう協力関係があって初めて可能なのですから、スポーツする競技の場では、協力関係と敵対関係とは相反するものではありません。

素晴らしい相手を尊重しよう

 スポーツの現場においても、好敵手にめぐり合えた喜びについて語られることは少なくありません。実際に自分が勝利を収めたときの喜びは、相手が優れていればいるほど大きなものになります。勝ったときの自慢話では、相手の力はときとして過大に語られる傾向があります。これは自分が実は優れた対戦相手を望んでいること、そしてそういった相手に勝つことの困難さと素晴らしさを認めているからに他なりません。

 つまり自分がスポーツで素晴らしい勝利を得るためには、素晴らしい相手に出会うことが必要であり、その相手とは尊重すべき対象であります。

 次のような場合、あなたは試合に勝って本当に喜べるでしょうか?
・相手の選手たちが汚いヤジに嫌気がさし、プレーをやる気がなくなってしまった。
・相手のキープレーヤーがこちらの悪質なファウルでやる気が失せたり、ケガでプレーの続行が困難になってしまった。

実例4「緩いボール」はフェアプレーかスタンドプレーかー1920年ウィンブルドンテニス、清水善造選手の一打

実例4

「緩いボール」はフェアプレーかスタンドプレーかー1920年ウィンブルドンテニス、清水善造選手の一打

 1920年6月 、テニスのウィンブルドン選手権に清水善造が日本人として初出場した。 三井物産のカルカッタ支店勤務だった清水はインド選手権5連勝の力はあったが、もちろん腕試し程度の出場。ところがアレヨアレヨという間に決勝に進出した(当時は決勝の勝者が前年チャンピオンに挑戦する制度)。決勝の相手は全米1位の大選手ビル・チルデン。 結局4-6、4-6、11-13で敗れたが、初参加で決勝まで進んだ清水は「東洋から来た小さく偉大なプレーヤー」と評判になった。

 それ以上に、清水を有名にしたのはここでの試合ぶり。第3セット、5-2と清水リ ードでセットポイントを迎えたとき、チルデンが転んだ。強打すればこのセットが決まったと思われたが、清水はチルデンの立ち上がるのを待つかのように緩いボールを返した。

 この話は“美談”として戦前や戦後の教科書に取り上げられたが、後にこれに対して異論が出た。「相手の返せない所へ打つのがテニス競技。そのために、日ごろから互いに訓練している。相手が転んだといって手心を加えるのはスタンドプレーではないか」などの反論である。

 清水自身はそんなつもりではなかったと、困惑していたそうだが、この話は「スポ一ツにおけるフェアプレーとは何か」を考える好材料となっている。

(出典:共同通信)

→清水選手のストロ 一 クに対応するために転んだチルデンを見て、するどいボールを返しても決してスポ一ツマンシップにもとるとは思いません。 ただしコートの整備が悪くて転んだ場合、 あるいは観客のカメラのフラッシュが目に入って転んだ場合はどうでしょう。同じ「転んだ」のでも、「転ばせた原因」によって、対応が変わるかもしれません。またその対応は一律に決まるものでもないでしょう。問題はプレーヤーが「スポーツマンシップ」に則って判断したのかどうか、なのです。

 清水選手本人が「そんなつもりではなかっ た」というのは照れ隠しかもしれません。瞬間的な判断で「打ち込むには忍びない」と感じたのではないでしょうか。

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