WIMBLEDON LEGEND STORY〜伊達公子スペシャルインタビュー〜



もし、優勝していたら

 結局、グラフは決勝でアランチャ・サンチェスに勝って優勝することになります。「たられば」の話をしても仕方ないなと思うのですが、たとえ私がグラフに勝ったとしても、サンチェスとの決勝は簡単なものにはならなかったでしょう。クレーではなく芝なら勝機があったのでは、と思われるかもしれませんが、私自身がサンチェスにはすごく苦手意識を抱いていましたし、純粋にチャレンジャーとして挑むことを邪魔する要素がたくさんありましたから。

 それだったらむしろドローの反対側にグラフがいて、決勝で戦っていたほうが可能性はあったかもしれません。14年のUSオープンで錦織圭くんが決勝でマリン・チリッチに敗れて準優勝だったとき、「相手がロジャー・フェデラーだったほうがやりやすかったかもしれない。(チリッチには)勝たないといけない、という気持ちをつくってしまった」と言っていましたよね。それと似たような感覚かもしれません。決勝でグラフが相手なら、自分がチャレンジャーとして余計なことを考えずにぶつかっていける。その結果として、準決勝以上の、自分にとっての最高のパフォーマンスが出せたていたかもしれない。

 もしウインブルドンで優勝していてもその年で引退していたか? それは変わらなかったと思いますね。逆に引退がもっと早まっていたかもしれない。あのときは1年単位でしか考えていなかったので、シーズン途中で引退ということはなかったと思いますが、もしウインブルドン優勝という大きな節目があれば「ここでやめてもいいかな」という思いになっていたかもしれません。

 もちろんグラフに負けた瞬間は悔しい思いでいっぱいになりました。でも、現役最後と決めた年に、自分にとって特別な大会であるウインブルドンで初めてセンターコートに立ち、セミファイナルまで進んでグラフ相手に納得のいくプレーができた。振り返れば、充実感に包まれた最後のウインブルドンでした。

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