内藤祐希「50の質問」グランドスラムに出てはじめてプロのテニスプレーヤー|Player File 5


「50の質問」で選手たちの素顔に迫るスペシャルインタビュー企画。今回、登場してくれるのはプロ1年目でトップ200を突破した内藤祐希。次代の日本女子を背負う若き才能をクローズアップしていこう。(テニスマガジン2020年11月号掲載記事)

(※掲載時のまま) 
ないとう・ゆうき◎2001年2月16日生まれ。新潟県出身。小学2年でテニスを始め、15年の世界スーパージュニアでは14歳でシングルス準優勝。18年フレンチ・オープン・ジュニアでダブルス準優勝(w佐藤南帆)、ユース五輪ではダブルス銀メダル(w佐藤南帆)、ミックスダブルス金メダル(w田島尚輝)を獲得。19年にプロ転向。19年シーズンはITF大会で5勝をマークし、世界ランクは一気にトップ200を突破。さらなる飛躍が期待される。自己最高は単175位(20年2月3日付)、複224位(18年8月13日付)、最新ランクは単191位、複444位(9月14日付)。亀田製菓所属
■Twitter @Ezweb2001
■Instagram @yuuki_naito

取材・構成◎杉浦多夢 写真◎BBM、真野博正、本人提供

自分を信じていれば優勝できる、やっていてよかったなと思えた

Q1 テニスは何歳から始めましたか?

「小学2年生から『さくらテニスガーデン』に通うようになりました。ほかに長岡市テニス協会でもお世話になっていました」

Q2 テニスを始めたきっかけは?

「母に夏休みの体験レッスンに無理やり行かされたのは憶えています。自分からやりたいと言った覚えはないですね(笑)。水泳とかピアノとかたくさん習い事をしていたのですが、そのうちのひとつという感じでした。正直、やらされている感はありました(笑)」

Q3 そこからテニスにはまった瞬間は?

「う~ん…小学4年生のときにジュニア育成のクラスができるから『入ってみない?』と母に言われて。テニスを始めるときもそうだったのですが、軽い感じで『うん』と答えて。それから試合とかにも出るようになっていきました。あんまり母の話をちゃんと聞いてなかったんだと思います(笑)。『やる?』と聞かれると全部、素直に『うん』と答えちゃう。だから習い事も増えてしまって。“流れに身を任せる”じゃないですけど、そこからいつの間にかテニスが中心になっていました」

Q4 今でもそのような感覚ですか?

「いえ、今は好きですし楽しいです! プロでやっていけるという自信も生まれてきましたから」

Q5 米沢徹コーチの「TEAM YONEZAWA」に入ったきっかけは?

「同じ新潟県出身の同い年で、今はプロになっている坂詰姫野選手とはライバルというか、小さいときから切磋琢磨してやっていました。彼女が『TEAM YONEZAWA』でもやっていると親が聞きつけて、『行ってみない?』って(笑)。中学2年生のときに誰でも参加できる合宿に行ったのが最初です」

Q6 そのまま「TEAM YONEZAWA」に入ることになりました。

「私が入っていたのはスクール制のクラブだったので、なかなか大会にコーチが来てくれるということは難しかったんです。そうしたときに『TEAM YONEZAWA』に『サポートできますよ』と言ってもらえて。最初はMUFGジュニアだったかな。それから米沢コーチに見てもらったり、ほめてもらったりしているうちに、また“いつの間にか”入っていたという感じです(笑)」

Q7 米沢コーチの教えは?

「今思うと、自由にのびのびやらせてもらっていました。それでも『練習がいやなときでもどれだけ頑張って、自分をプッシュして練習できるかが大事だ』と言ってくれて。練習量は多かったですし、大変だなと思うこともありましたけど、その練習量が自分の自信につながっていったと思います」

Q8 技術面での米沢コーチの教えは?

「今の私の武器のひとつはスピンボールなのですが、高さを使ってテニスをすることを教えてくれたのが米沢コーチです。ずっと同じリズムで同じボールを打ち続けても相手は慣れてしまう。だから“上”を使おうって。スピンを打てるようになったのは米沢コーチのおかげなので、すごく感謝しています」


ジュニア時代は米沢コーチから多くのことを学んだ

Q9 2015年には世界スーパージュニア(グレードA)で予選から勝ち上がり14歳で準優勝を果たしました。

「中学3年生だったんですけど、世界スーパージュニアがどんな大会なのかもよくわかっていませんでした。直前まで台湾に遠征に行っていたのですが、米沢コーチに『行ってサインしたら入れるかもしれない』とそのまま大阪に連れていかれて。何が何だかわからないまま、『また試合か』という感じで予選に出場していました」


全国的には無名だった14歳のとき、世界スーパージュニアでいきなり準優勝を飾った

Q10 勝ち上がっていく中でプレッシャーはありませんでしたか?

「勝つたびに周りから『すごいね』って言われて、『この大会、そんなにすごいんだ』と思って。でもプレッシャーにならないように、周囲は気にしないようにしていました。まだ自分は下っ端だったし、のびのびやっていたと思うんですけど、たまに映像を見直すと、『よくこのテニスで勝てたな』って思いますね」

Q11 18年のフレンチ・オープン・ジュニアではシングルスでベスト8、佐藤南帆選手(現慶大)とのダブルスでは準優勝でした。

「私、クレーコートが大好きで、前哨戦でも調子が良かったので自信満々だったんですけど……。シングルスは準々決勝で、今はWTAで50位くらいのポーランドのイガ・シフィオンテク選手にファーストもセカンドも5-3リードから5-7で負けて。ダブルス決勝でも同じ相手に負けて……。今、思えば『頑張ったかな』という結果ですが、すごく悔しい思いをしました」


佐藤(右)とのダブルスでフレンチ・オープン・ジュニア準優勝。うれしくも悔しい思い出

Q12 同年10月のユースオリンピックでは佐藤南帆選手とのダブルスで銀メダル、同じ「TEAM YONEZAWA」の田島尚輝選手とのミックスダブルスでは金メダルを獲得しました。

「やっぱりジュニア時代で一番思い出に残っている大会ですね。南帆ちゃんとのダブルスで絶対に金メダル獲りたいと思っていて、すごく緊張して、それで負けてしまって……。次の日のミックス決勝は、『どうなってもいいか』というちょっと投げやりな感じで。そういう考え方は良くないんですけど、結果的にリラックスして試合ができました」

Q13 田島選手が聞いたらびっくりするのでは?

「本人にも言っていましたから(笑)。尚輝は『死ぬ気で金メダルを獲りにいく!』みたいな感じだったので。私も勝ちたいとは思っていたけど、もしかしたら彼ほどじゃなかったかもしれない(笑)。そのギャップもいい方向に働いたのかもしれません」


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