Bud Collins(バド・コリンズ)追悼企画|世界でもっとも有名で、もっともテニスを愛したジャーナリスト

故バド・コリンズ(2009年7月、インディアナポリスにて撮影)




独特でユーモアのあるスタイル

 バドの独特な文章のスタイルは70年代初期には、やや先を行きすぎていた。ウインブルドンでミーハーなティーンエージャーの少女たちが、17歳のビヨン・ボルグを追いかけ回して騒いでいたとき、バドはこの現象を〝ボルガズム”と呼んだが、その目を惹く表現は検閲を受け、ボストン・グローブ紙に載ることは決してなかった。

 しかし、バドがつけるカラフルで頻繁に頭韻法を使ったニックネームは新聞に採用され、多くの読者の心をつかんだ。ブカレストの道化師(イリー・ナスターゼ)、ブラッシュ・バッシャー(生意気な攻撃者の意/ジミー・コナーズ)、フロイライ・フォアハンド(フロイライはドイツ語でお嬢さん/シュテフィ・グラフ)、ドラキュラ伯爵(イオン・ティリアク)、バルセロナのマルハナ蜂(アランチャ・サンチェス・ビカリオ)、クリス・アメリカ(クリス・エバート。ミス・アメリカに引っ掛けて)、大ハンマー姉妹(ビーナス&セレーナ・ウイリアムズ姉妹)。ビリー・ジーン・キングはバドにつけられた〝自由の母”というあだ名を特に気に入っていた。

 サービスがレットか否かを判定するため手をネットの上に置いている、世に気づかれない存在のネット・ジャッジたちには『フィンガーズ・フォーテスク』という架空の(人物をもじった)名がつけられた。そしてバドは頻繁に愛情を込めて、彼の無比の叔父スタッドリーの話を持ち出した。スタッドリーが本当にバドの叔父だったのかは、我々には知る由もないのだが、彼はよく「私の叔父はいつも、自分の最初の結婚をアンフォースト・エラーと表現していたよ」などと言っていたものである。

 バドは即興の皮肉の名人でもあった。セックス・シンボルであるアンナ・クルニコワは1大会にも優勝していないにも関わらず、なぜこうも多くの雑誌の表紙を飾っているのかと尋ねられ、こんなふうに皮肉った。

「彼女のお尻(バックサイド)は、彼女のバックハンドよりもいいからだよ」

 バドはテニスを内側からも外側からも知っていた。それは多くのスポーツライターたちとは違い、彼自身がテニスをプレーしていたからであり、おまけにダブルスにおいては非常に高いレベルだったからでもある。バドはアクロバティックなボレーヤーで、グラスコートで裸足でプレーすることが好きだった。

 自分のことを卑下して〝ハッカー”と呼んではいたが、ジャネット・ホップスと組んで1961年US室内ダブルス選手権で優勝し、1975年にはボストン出身のジャック・クロフォードと組んで、フレンチ・オープン・シニア・ダブルスの決勝にまで進出した。

 バドは若いライターが質問してきたときには、惜しみなく知識を分け与える人でもあった。彼の百科事典ばりの知識について、ニューヨーク・タイムズのハーベイ・アラトンはこう書いている。

「プレスボックスの中のバド・コリンズはグーグルが存在する前から、グーグルのような存在だった」

 また、ボストン・グローブ紙の著名なスポーツ・ライターでもあるダン・ショグニーはテニス・チャンネルに「バド・コリンズほど有名で、若いライターに親切な記者はいなかった」と話している。

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